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    劉禅は暗愚であったか

    考察 三国志

     劉禅は暗愚であったか考えたい。蜀が降伏したことで責められることが多いが、攻められて降伏したわけで、自ら国を壊したわけではない。もちろん、黄皓を重臣にしたのは間違えだったが。
     蜀という国は父である劉備や、関羽張飛趙雲諸葛亮などの度重なる苦労によってようやくできた国であり、三国志では彼らはヒーローであろう。それらの偉人が作った国だ。諸葛亮姜維が北征で国を疲弊させても非難されず、降伏をした劉禅が悪役になるのは、ヒーロー達を立たせるためであろう。
     劉禅の代になってから四十年、蜀は存続した。暗君ならそんなに長く存続させられないだろう。中国の他の時代では戦乱の時は数年で国が滅びている。諸葛亮姜維の北征で国が疲弊して傾いても、なんとかやっていけている。もちろん、家臣の支えがあったからであるが、ちゃんと家臣の支えを受け入れられるというのも、一つの才覚であろう。
     劉禅の逸話で有名なのが、司馬昭が「蜀は懐かしいか」ときいたとき、今は楽しいので懐かしくありませんと答え、郤正が「蜀がなつかしいと答えるのです」と諌め、司馬昭が再び質問すると「郤正のいうとおりである」と答えたそうだ。司馬昭のような劉禅と違い人を処刑することに厭わない人に殺されなかったというのは、劉備曹操と対談したとき、雷におどろいて、曹操から警戒をといたようなところを引き継いでいたのかもしれない。安楽公に奉じられ魏・晋とわたり、天寿を全うしている。
     黄皓を重臣としたことだが、帝王学である”無為”があったのかもしれない。家臣の能力を引き出す能力であるが、同時に悪になる家臣を使うと、悪く作用する。人材不足の末期の蜀では無策にならざるをえなかったのであろう。姜維がいたが、伝によると、姜維は北征に力を入れており、国政には顧みなかったという。
     平時の皇帝だったらよかったかもしれないが、三国時代という時に皇帝になっていたので、暗愚皇帝として扱われるようになってしまったのだと考える。