音楽と表現についての考察

    音楽として、「悲しい」ということを表現しようとしたときに、「悲しい」という経験が必要である。しかしながら、経験できないことにについては何かしらにおいて、経験の変わりになることが必要である。「経験」とは、「私の経験した物語」という解釈が可能なので、その補いのために文学や、歌を聞く、映画を見るであるなど「物語の消費」によることができるのではないかと、考えている。確かに小手先の技術、8分音符であるとか16部音符であるとかを演奏するのは、練習すればできるようになるが、それは、今すぐにできるようになる必要があるか考えている。長い目でみるならば、楽器の練習の時間を減らして、人間としていろいろな経験をしたり、物をみたり、感じたりすることのほうが必要なのではないか。と考えている。

    日本丸で一緒に演奏したトロンボーンの方がおっしゃってたのは、技術が先ではなくて、伝えたいものがあって、技術を身に付ける。ということで、そのとおりだと考えている。

    最後にカルカッシギター教則本にかかれていることを引用しようと思う。

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    3.うまい演奏といい演奏
    うまい演奏は必ずしも良い演奏とはいえない。陶工の作ったうまい茶碗が安値で売られ、大茶人、大人物の作った、見かけはそれほどでもない茶碗が非常に高価に売買されていることがある。りっぱな教養を持ち、音楽の中に哲学も宗教も詩もある演奏を目指すべきである。人物完成の努力こそ最も必要である。