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    哲学道場横浜第01回感想

    評論

    哲学道場横浜01回

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    写真はホワイトボードですね。
    和室でこたつに入りながら議論してました。
    参加者私含めて三人

    楽法梵志氏 @gbonji、谷口氏 @Taroupho 、私(天空@tenku) @tenku です

     

    私発表の「人間の自己欺瞞」でいろいろなところに話が飛んだりしてこんなホワイトボードになってしまいました


    途中で、「大学で板書書いてもらっても意味が無い」っていう発言があって、
    大学の黒板を使うのは、解説しながら書くことが多いんで、
    参加してない人から見てなんのこっちゃということになりますね。

    発表レジュメの内容としては
    人間の欺瞞・矛盾・不完全問題です

    レジュメに書いた例としては
    クレタ人のジレンマ(自己言及のパラドックス)、
    伝言ゲーム(伝えるときに内容が変わってしまう、口伝)、
    ソーカル事件(知の欺瞞問題では外せないでしょう)
    原発健康被害問題(チェルノブイリを例に出しても統計として20%-70%差がでてしまうので、それは科学的なのかどうか。健康問題に対しては因果関係が多すぎるので、統計でだせるのかどうか。)

    派生した話としては、

    書き言葉の変遷
    江戸(くねくねしたような文字)→明治(旧漢字+カタカナ)→現在(顔文字などが入るようになった)
    それに対して、話し言葉はそんなには変化していないのではないか。敬語は江戸時代からできた。敬語の文脈は最近固まった。等
    敬語の話で 行きませんでした→行き ませ(敬語) ん(否定) でし(敬語) た(過去形) 

    で旧漢字の話になって、藝術の藝は芸になったとか、
    藝術大学は旧漢字のままなので、美術や音楽などのほうは昔は藝だったとか
    旧漢字から派生してホワイトボードの右上に台湾が中国語で書いてっあったりとか

    明治維新で外国語を翻訳しようとした時に福沢諭吉
    rightをどう翻訳するかで 権利通貫と訳語を当てようとした話や
    そこから派生して、訳問題で、神をどう訳すかで 神(一神教)と神(八百万の神々)でうまくいかなかったことや

    定義問題としての科学。そもそも科学はどこから科学なのか。
    演繹的であれば科学なのか。反証可能性があれば科学なのか。科学は仮説であるのか。
    また、歴史は科学なのか。
    演繹的であっても、有限回の連続性しかないので、Aベクトル、Bベクトル、Cベクトルに変化する可能性は否定出来ない。
    さらに、もしかしたら、世界は五分前にできたかもしれない。という説もでたり。

    口伝によって変化する。仏陀自信は本を書いてないので、教えを聞いて書かれた本は違う人間が書いたものについては、文献学的に矛盾点が発生している。

    等々、他にもいろいろありましたが、面白い話が多かったです。