ぼっちが社会で生きやすくする方法

なんでぼっちは人としての評価が低いの?

 

残念なことに、日本のほぼすべての人が外交的であることが、良いことだととらえているような世の中だ。なので、内向的なボーっとしているぼっちはそのままでは外からの評価は低い。

 

結婚したらなぜ価値が上がるかというと、増田の記事にブックマークしているブコメ

id:xevra の言うとおりである。

同じ芸をする芸人が二人いました。一人はファンが誰も居ません。一人は人生をかけて応援してくれる熱烈なファンが一人いました。どっちが社会の評価が高いでしょうか。認めてくれる人をたった一人でも得る事は偉大だ

 id:dpan

最近ぼっちぼっちうるせーんだよ、能書き垂れてないで友達でも作れって言ってるだろ。これみてるぼっち擁護ちゃんのお前だよおまえ

本当は友達が欲しくて、作れないのであれば、そのとおりなのだが、一人でいることを必要としている人にとっては、このような話にはあまり耳を傾けない方がいい。

 

世の中としての人間の評価は、他人によって価値付けられていることである。周りが写実画を描いているなか、抽象画を描いていたゴッホは生きている間ほとんど絵が売れることがなかったが、死後、評価されることとなった。

生きている当時としては価値がないが、価値を新たに作り出すことができた。

 

他から価値付けられることが評価につながるのであれば、価値を転換することによってぼっちは価値のあるものになりえる。

一人焼肉用焼肉店のようなものができたように、世の中に必要とされていると気づく人が増えれば、ぼっちは生きやすくなる。経済的にお金になるのであれば、マーケッターは市場開拓し、ぼっちに生きやすいサービスを作り出すだろう。

経済だけでなく、一人でいることに何らかの価値付けしてくれるような、存在にアピールしていくことで、ぼっちは生きやすくなる。

 

ものすごく短いスパンで楽になりたいのであれば、ライフハック的だが、自分を自分であることを認めること、目標として外交的社会的な基準での成功ではなく、独自の目標を作りそれを達成するようにすることである。

 

追記

ブコメがあったので返信

 id:pmint

id:xevraの話にある「ファン」が母親だったらどうだろうか。評価するか否かの意見が分かれそう。実は根拠なんてなくてパターン化してるだけな気がする。

 

 エントリの最後の行の内的な目標達成という視点では家族からの承認を目標としても問題ない。外的な評価というところでは評価はわかれるだろう。パターン化というのはよくわからなかった

 

本当の勇気は「弱さ」を認めること

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無縁社会

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ルポ - 子どもの無縁社会 (中公新書ラクレ)

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