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    味ばかり見ていて大事なものを見失っている

    世の中

    貴様らに、寿司の味がわかると? - とある青二才の斜方前進

     

    僕は食通や寿司職人が庶民に食を語る資格が無いという言説は傲慢だと思っていた。

    まあ、彼らが失礼だと思っても、僕は自分自身を失礼な人間だと思っているし、目と耳と口をつぐんで生きようとは思っていないんだ。だから、語ろうと思う

     

    寿司をわかってる人は回転寿司でも直接握ってもらう

    握ってもらったばかりのネタはうまい。たとえ100円寿司でもだ。だから、一定時間以上回っていると廃棄される(衛生面もあるが)

    回転寿司でも仕入先によって味が違う。明らかにだ。

    機械で作ったシャリは品質は一定している。安いといっても客にリピートしてもらう努力をしているし、そういう店は繁盛している。

     

    流儀か満足か?誰が子供か?

    確かに寿司を始めとする高級料理は工夫に工夫をこらしている。これは同意する。

    逆に高い金を払っているからこそ満足してもらわなければならない。

    「こぼれるほどのいくら」とか「はみ出るほどの大トロ」をありがたがることがあるが、あれは寿司をわかってない人がありがたがるシロモノだ!

     ネタが大きいほうがいいか、小さいほうがいいか。「食通」などであれば、こだわりがあり、ネタが小さいほうがわかっていると思うが、我々庶民はそんなものを知らないので、不満に思ってしまうことがある。

    流儀にこだわって客を不満にさせるような店は高級店ではあるだろうが、食べ物の旨さで言えば一流かも知れないが、サービス業として一流ではない。

    結果、高い金を払っているにもかかわらず、客を満足させることができなければ、ひどいレビューがかかれる。当然なことだ。一流のサービスを提供できなかった。事実である。

    流儀にこだわるのであれば、一般庶民のような一見様の不評に耐えなければならない。これが経済というものだ。でなければ、高い金を払わせてふんぞり返っているのはただの傲慢である。

    流儀にこだわることは否定しないが、一つだけ言っておこう

    サービス業としては何万も払った客に満足してもらうことができず、逆に不満になって帰らし、それをひどい客だったと言ってるほうが子供である。思っているより食い物の恨みは怖い。

     

    では。


    ブコメ返信

    id:TM2501

    確かにあなたの方が食にくわしいでしょうが、それだけでは語ってはいけない理由にはならない。この国では表現することは自由なのです

     

    顧客はサービスを買っている―顧客満足向上の鍵を握る事前期待のマネジメント

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    美食の歴史 (「知の再発見」双書)

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