就職活動は通過儀礼だ

就職活動は社会人(正社員)になるためのイニシエーションだ。最近、そう考えている。

 

現在、就職活動ビジネスはひどいありさまで、社会を知らない大学生たちに酷い仕打ちをしている。それは、「俺達の若いころ・・」というもののバブル世代以前は楽であったであろうし、就職氷河期であれば大変さは知っているはずだ。

 

なぜ、若者たちに厳しく当たるのだろうか。これは、通過儀礼(イニシエーション)ではないかと考えた。過酷な就職活動を乗り越えたものだけが、(もはや安定したとはいえないが、幻想を信じられている)正社員になれる。と、それを乗り越えたら社会人として認められる。そんな、中世的なものが復権しつつあるような気がしてならない。

 

俺達が苦労したかお前たちにも苦労してもらう。そういう、不合理な精神論的な心理が動いているようにみえる。

また、落ちまくった大学生は自信が落ちておるものはある程度おり、その状態は研修で洗脳状態に持っていくのに最適だ。

 

こんなに物の豊かな国なのに、生きていくのに苦痛ばかり感じる。おかしなことではないかと個人的ンは考えている。

 

では。

 

 

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