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    人はどこまで権威的であることが許されるのか

    先週くらいの話。

     

    私の所有する楽器を「その楽器は価値がない」と言われた。

    私は、「自分にとって思い入れがあり、価値が有るものなので」と返したが、
    彼にとってはそれでも価値はないようだった。

     

    彼は伝統あるメーカーのBessonという楽器をいや、
    権威的な楽器の愛し方をしている。


    TrpならBach、Clならクランポン、Saxならヤナギサワ、Selme、A.GtならMartin、Gibson、オベーションといった具合だ。

    確かにそれらの伝統あるメーカーの楽器は価値はあるだろう

     

    しかしながら、自分の型番もわかっていないようなものを、
    知識的に見て「無価値」だとするのは、どうなのだろうか。

     

    楽器演奏はアクチュアル(身体的)であることと切り離せない。
    その感覚から明らかに切り離されているものを、
    楽器奏者として知識のみで切り取っていいのか。ということを考えていた


    日記の題の「許されるのか」は明確に何かというのは自分の中で明確にならなかった。これも、アクチュアルな感覚なのかもしれない。むしろ、主観的なのかもしれない