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    人力検索質問で質問したことについて書く ベストアンサー版

    人力検索で質問をしました

    人生の意味を見出せなくて辛いです。また、コミュニケーション能.. - 人力検索はてな

     

    質問本文

    人生の意味を見出せなくて辛いです。また、コミュニケーション能力もなく、毎日無駄な生活を送っています。努力すれば報われるとかそういう概念に裏切られて生きてきました。どうすればいいと思いますか?

     

    ベストアンサーに選んだ質問はこの質問です

    id:akihiko810

    「人生にあるのは意味ではなく味わいです」(谷川俊太郎)だそうです

    (略)

     

    引用されている URL先の問題についてまず考えたい

    http://pnk2.seesaa.net/article/126834425.html

    人生に「意味」はありますか? - いつか電池がきれるまで

    回答者であるid:akihiko810氏がすすめてくれたのは、ここの場所である

    谷川俊太郎
     意味があると答えても、意味はないと答えても、意味が生じてしまいます。人生にあるのは意味ではなく味わいだと私は思っているのですが、言葉で言うとどうも据わりが悪い。禅問答ではありませんが、答えは「……」とでも言うしかありません。

    確かに究極には意味は無いかもしれない。そのとおりだ。

    自分の人生相談として行ったのだけれど、

     

    しかしながら、逆に世間を見て、

    ~しなければならない「must be」が支配している、無言の圧力がどこにいっても存在するこの国で。

    「働かざるもの食うべからず」はある意味「規則的な意味で」もはや、「must not」という意味合いになってしまっているのではないかと思う。人身事故が起こるというのは、手軽な死に方であるのも一つではあるけれど、もう行きたくない仕事場から逃げ出して飛び出したいという意味合いがあると思う。

    マクロであれば、気軽に生活保護について語れるだろうが、ミクロで目の前に生活保護を受けている人がいたら、どういうだろうか。ポジティブに迎えられることができるだろうか。ネガティブな反応なのではないかと思う。

     

    価値ー無価値 の価値空間を無効化することはたしかに楽になるものの、それが有効化されてる世の中がひろがっているし、アクチュアル(身体的)な感覚を重要視している(無自覚も含む)自分にとっては、その空間から逃げ出すことはできない。そう考えた結果、向き合わなければならない(自分は)と考えている。社会に対して、何かコミットしなければ、と。

    (だが、現在のところ無価値にかなり傾いている)

     

    id:akihiko810氏の勧める次のアドバイス

    よせなべHITTOさんの日記 アカギのすすめ part4 ラスト

    Atelie Rakontisto

    想像への旅17.141306 赤木しげる研究6 : 鴎庵

     

    赤木のいう「人生の輝き」も「人生の味わい」と同じです。

    私も同じく「人生の味わい」に重きを置いて、それにコミットできるよう生きようと思っています。
    簡単にいうと「やりたいことはやる」
    具体的に言うと「食事は美味いものを、家族で 食べて、その幸せをかみしめる」
     とか、まぁ、意識的に「些細な幸福」にまで目をむけるようにしています。

     

     

    自分はかなり自分のやりたいことに対して、「回避的」出会ったと思います。自分自身が「ここにいていいのか」というくらいに(悪い意味で)無価値化されていたからである。

     

    もはや、社会に適応することに対してこだわってもしょうがないから、ポジティブな方向で無価値化しようと考えてる。

    しかしながら、そうしていると

     

    「意味」から「強度」へ、と濃密さを求めようとすると、今度は、
    「濃密さを得ようと思っても得られない」という問題に直面するかもしれません。
    「昨日も今日もつまらなかった…」「結局生きてもその程度か…」のような。

     

    このような悩みに出会うかもしれない。そしたらどうするか。に対して、彼はこういっていた

     

    さて、では何をすれば「濃密さ」を得られるのか。
    私が他人にすすめるるなら、(人に勧める以上、もちろん凡庸になるのですが、)
     ダンス、空手、ヨガ(身体性)
     文学、映画、漫画(芸術) できれば創作
     恋愛、趣味の友人(関係性)
      他 食(料理)、睡眠の質をあげる ペットを飼う
    でしょうか。

     

    ある意味で、これらの提案してくれたものは、どれも個人的な感覚としてアクチュアルなものであると思う。人間性が大切なのかもしれない。インターネットばかりやりすぎなのかもしれないとも思った。もっと、他のものに目を向けねば、と。

     

    次の提案

    中野裕太君はスゴイ - メディア見廻り組

     

    この文章をみて、かなわないな。と。まったく。そういう絶望はしないけれどそういう感覚があった、それで、

     

    あと最後に、話が初めに戻るのですが、仏教ではこの問いに
    「この世もあなたも『色即是空』であり、『諸法無我』であるので、
    人生の意味、そして<それに悩むあなた自身>が『空』である」
    のように、それ自身が虚偽意識である、と諭すと思います。
    今まで「濃密さ」を説いてきましたが、それですら『空』であり、やはり虚偽意識なのですね。
    仏教の真理と悟りでいうなら「この世は四苦であり、それを諦感によってそのまま見つめる」のですから。

     

    知識不足でよくわからないが、神道・仏教はそのうち(いつだろうか)やろうと思ったので、やろうと思う。意義がある知識が得られそうだ。

     

    Q&A上ではこう返事をしました

    id:tenku65820

    コメントありがとうございます。とてもためになりました。

    自分自身の現在の視野の座(パースペクティブ)こそが自分を苦しむに至る原因で、オドラテク(仮) さんのところでコメントしたとおり、それは、無意識であり、意識であることが自覚出来ました。これから、どうするかは自分次第ですね。

    現在の自分には「意味」も「強度」も持っていないのかもしれません。しかしながら、それが可能性が生むのかもしれません。福本伸行『天 天和通りの快男児』のセリフ通りですね。この主人公そのままなのかもしれません。そう考えると、宮台氏の、現象学的な、「経験的主観」で私が苦しんでいるのかそれとも、そう考えるように至る、構造的・システム的なな共通したものをもしかしたら「私達」は体感しているのかもしません。etc-etc さんのコメントの、「そこで、絶望しきって、倫理すら通じなくなったのが、いわゆる「無敵の人」だと」とかいた行です。

    質問にお応えします。中島義道は「カント塾」に数会参加しました。数年前のことですね。永井均の院ゼミに参加させてもらったことがあります。永井氏はmixiではマイミクでもありますね。そのことで、あまり関わりはないですが、日々のつぶやきは見ています。

    身体性のあることは今のところやっていないですね。身体性は外的な意味性が問われることが多いので(競技など)、走るなど、自分自身と向き合うことをしたいと思います。

    藝術は藝術評論、詩、小説執筆、音楽などをやっています。

    関係性はあまり、現実で接するのは弱いですね。自分の行動範囲が狭いだけなのかもしれませんが、上手くいかないことが多いので。変人扱いされて、村八分されたり経験しています・・また、アダルトチルドレン的ななどで、辛いことも多いです。

    お答えいただきありがとうございました。

     

    追記です。メタ視点での自分批判と、構造的・システム的な視点からの(超越論的視点もしくは間主観的視点)から自分自身を批判していたかもしれません。うまくまとまっていませんが。

     

    返事に対して、またコメントしてくださりました。

     

    「身体性は外的な意味性が問われることが多いので(競技など)」
    強度を求めるだけなら、運動に意味性を問わなくてもいいんですよね、本当は。

    ダンス(レイヴ)ブームも、格好良く踊る、のではなく単に「体を動かすのはキモチイイ」という「生理的快感(濃密さ)」を追及していたのですから。

    宮台がオウム事件の直後に言ってた「まったり革命」というのは、そういう文脈でした
    (意味追求・将来のためでなく、援交コギャルのように「今ココ」の時間を生きよ!) 
    http://d.hatena.ne.jp/miyadialogues/20061222/p2
     「まったり革命」自体は、いくら「意味を生きるな」と言っても「意味を求めず生きる」タフな人間が現れず、逆にアダルトチルドレン系の人たちを追い詰める結果になってしまったので、宮台は撤回するのですが。

     

    自分もかなり意味性を苦しんで考えながら生きてきたわけです。それで、以前、こんなエントリを書いたりした 

    あなたは悪くない - 考えたことについて書いていく

    これからもインターネットで消耗していきます - 考えたことについて書いていく

     

    周りから見られていること、(非主体的)なことにかなり意味性を自分の中で与えたのだけれども、それが活かされることがなかった。と。

     

    今、そんなに確たる結論を出せているわけではないけれど、ある程度、苦しみながら、意味を握り取っていったほうがいいと考えている。ニーチェの「第一空間的 汝なすべき」ではなくて、第二空間的な「我欲す」のほうに移行したいという気持ちが自分の中で強くなってきた。のではないかと思う

     

    私の話ですが、運動していなかったときは生活が不規則で、抑うつ的で辛かったのですが、
    一時間ほど軽いジョキングを始めてから楽になりました。身心一如ですね。
    もともと「一人でできる」という理由でジョキングを始めたのですが、
    個人的には「走っているから楽しい」ということはあまりないですね。ランナーズハイのようなのはありますが。
    運動するためにやっている、という感覚です。
    できれば一人ではなく、「誰かと運動する」という方が濃密さはあるかと思います。
    その意味でダンスや空手を薦めました。

    関係性については、宮台は最近は「性愛」「包摂」を提唱しています
    「ひとを幸せにすることでしか幸せになれない」ということです。
    『中学生からの愛の授業』
    『「絶望の時代」の希望の恋愛学』
    絶望の~は、ナンパのを通して、(コミュニケーションの機会がないならナンパだ!)
    どのように性愛関係を築けばいいか指南しています。

    モテ本では、二村ヒトシ著「すべてはモテるためである」がオススメです
    http://smoothfoxxx.livedoor.biz/archives/51897090.html
    哲学者の國分功一郎も著書で薦めてました。
    「女性と<まともな>コミュニケーションをとる」方法指南です。

    私は全くもてないので言うことないのですが(苦笑)、
    人間関係を結ぶには趣味、ないし興味が重なる人を見つけることでしょう。
    私も人間関係を結ぶのは得意ではないので、話が合わない人と関係結ぶ(薄いつきあいというか)のは苦手です。
    そのような人つきあいから、濃密さを手にしたことはなかったと思います。

    私は大人になってから、学習支援のNPOに通って、そこで同年代の知人友人を得ることができました。
    NPOは、どちらかというと地味な人、というかひきこもり型で自分の世界を持ってる人が多かったのが自分には合っていました。
    趣味興味の合う人間関係を(ネットでなく)構築できたのは、本当に運があった、良縁だったと思っています

    貴方様もネット上のコミュニティに属するか、
    ワークショップ、NPO等に参加して友人をみつけるのがいいかと。
    ただ、リアルで友人関係を結ぶのは本当に難しいのですよね。
    興味が合う人を見つけるのも難しいし、(同年代・同性などと絞るならなおさら)
    一度だけでは関係も深まらないので、何度か同じ場で顔を合わせるコミュニティをみつけるのも難しい。

    個人的には、趣味オフ会より、何らかのNPOに参加するのが(長期的に活動しているため)
    ベストなのかと思っていますが…

     

    個人的にこういうのは、苦手でどう向き合えばいいかわからない。ただ、まったく人間関係がないと苦しいのは確かだ。

    コメントありがとうございます

    自分も、「リアルな身体性による他者との干渉」がもっとひつようなのかもしれません。

    オフ会なども参加することを考えてみます

     

    なんとも、歯切れの悪い回答であるが、しかたがない。