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    <id:koya2014宣言>

    以下、批准します。

     

    <宣言文>

     

     ゼロ年代と呼ばれたこの十年、日本はデフレで物があふれたが、希望より絶望を多く生み出した。そして、福祉はそういう意味ではなにも生み出せなかった。できるのは文章をプリントアウトして精神科へ持って行くのみである。そして、向精神剤が処方されるのみだ。ただのたらいまわしである。回復までの道のりは自分の足で・・一回砕け散ったその足で探しまわる必要がある。また立たなければいけないのだ。



     今、われわれの目の前に広がっているのは、腐った魚のような目をして電車に乗っているサラリーマンや絶望をインターネットでまきしらしているメンヘラたちである。

     欧米を真似た資本主義による成功。そして、その金によって作られた乱立したビルの中では、殺気立った罵声ばかりが聞こえる。そんな風景があるのみである。そこで生み出されるのは希望ではなく絶望である。綺麗な美しいブランディングをしたWeb Pageの、オフィスの裏側にはそんな風景が広がっている。



     この風景は、ゼロ年代の幕開けによってつきつけられた、社会への問い(「監視社会」「無宗教」「無縁社会」「新興宗教」「自殺」・・・)から徹底的に目を背け無化することによって成立している。

     ゼロ年代に入って、ますますわれわれの生活を変容させた情報化の推進は、あろうことか精神において、日本と世界の格差を埋めるものとしては機能しなかった。

     朝、電車が飛び込み、人身事故で電車が遅れようとも、それが人が死んだということをアクチュアルに感じるものがいなくなってしまった。現に私もそうである。

     精神科医は「向精神剤」に充足することで、患者の「情報」から目をそらし、ナマな文化の営みに身を晒さない。健康に対する研究をしている学者は教授という権威で身分を保証され、無根拠な疑似科学によって広告を出し、変な食品や本を売ることで、小器用な職人として金稼ぎをしている。



     ゼロ年代の間、私は地上に姿を表さなかった。なぜなら地上は街は、人がいるのにGHOST TOWNとかわりないからだ。そこにはゴミひとつ落ちていない。私のGARAGEではゴミは落ちている。おかしいではないか。

     Google2chmixiFlickrニコニコ動画YoutubeTwitter。そこは地上によってもたらされた絶望とその叫びがコミュニティというアーキテクチャインフラクチャーによって造成され、まとめサイトという形で絶望が増幅されていた。

     そこでは常に、膨大な匿名性による想像性が渦巻き、叫びともならない叫びばかりがこだましていた。にもかかわらず、年に三万人自殺し、政治家福祉精神科医も誰もそれを止めることが出来なかった。

     人間の内面はアーキテクチャのような工学的なものでは満たされないということがよくわかったのだ。

     さらに、「無敵の人」なるものまで生み出した。ゼロ年代は害ばかりが作られてきたのだ。



     そこで私は再び現れようと考えた。目と、耳と、口をつぐんで暮らしていたが、そうすべきではないという結論に至ったのだ。

     人間には人間による暖かさが必要なのだ。人間に希望を与えるのはAIでも機械でもない。人間だ。人間によって作られたアニメや絵や小説や文章、言葉。それらは、温かみがあり、あらゆるアーキテクチャはその媒介物でしかない。

     

     とはいっても、どんなに文章を書こうとも、何と言おうとも、私id:koya2014はただ一人の匿名の一人でしか無い。とても無力だ!否定することは出来ない重要な事実だ!そこで、私の模倣者を探している。もちろん、私自身もあるメッセージを見た模倣者でしか無い。

     この思いを共有してくれる人は、辛かったり、苦しそうな人をインターネットで見たら励まして欲しい。この宣言文を読んでいる諸君、そして淑女達への要求はただそれだけだ。簡単な事に思えるが、案外、難しい。今日の日本のネットではな。だから、私は道化なのだ。

     私はあるとき友人を亡くした。自殺だ。私の友人の数を数えるのは片方の手で足りる。それなのに、自殺を止めることが出来なかったのだ!!

    子供を蹴っていてもそこにいる人間が止められない社会になってしまったのだ。禅の魂があると言われた日本は何処へ行った!!

    最後にもう一度言おう。この思いを共有してくれる人は、辛かったり、苦しそうな人をインターネットで見たら励まして欲しい。



     私、id:koya2014はようやく、ここに姿を表す。

     ある匿名の気のある書き込みに情熱を晒して、一、模倣者として新しいインターネットのあり方を模索して。