自分と音楽 2015/6/4

 自分の音楽は(師匠の受け売りだけれども)音楽美学的に”Play”的である。つまり”遊び”だ。遊びに目的はない。あるとしたら、遊びそのものが目的。そのような音楽性を帯びているというのが第一認識。

 

 五線譜――つまり再現音楽的な協調性的で訓練(練習)が必要で、ある程度固定化され承継しなければならないようなを演奏したりすること――に関して、師匠は「よく耐えている」と答えていた。つまり、あまり向いていないということだろう。器用なのでやればできるとも言っていたが。

 

 恐らく、クラシック―管弦演奏法の流れの人や、吹奏楽部的精神論で音楽を考えている人には到底理解できないものなのかもしれない。そういうストイックさから生じているものではない。また、上達主義とも全く違う方向である。

 

 私のピアノのFree Improvisation(完全即興)はどのルーツからも来たものではなく(多少の他の音楽の影響は受けていることは否定できない。ジャズでもクラシックでもない)、私独自のものだと師匠にいわれた。それは嬉しかった。(確かに、音大ピアノ科出てる人で私と同じようなことができる人というのは殆ど見たことはない。)

 

 なんというか、自分独自のものだからこその切り開かなければならない苦しさは存在する。先は長そうだ。