攻殻機動隊SAC作中内でのセリフについて思うところがあったので書き留めておく

    攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEXについて、思うところがあったので書き留めておく。

    攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 2nd GIG
    第15話 機械たちの午後 PAT. より

    有須田「昔、城を建てた無名の木工は、自分がその仕事に携わった証として、屋根裏に自分の名を刻んだ工具を態と忘れたそうだ。そんな些細な思いすら、お前達は消し去るのか?」
    草薙「そうよ。それが体制に何かを明け渡した代償に力を得た者の禍福。」

     

    攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 映画監督の夢より

    草薙「確かにいい映画とも言えないくもないわね。でもどんな娯楽も基本的には一過性の物だし、またそうあるべきだわ。始まりも終わりもなく只観客を魅了したまま手放そうとしない映画なんて、それがどんなに素晴らしく思えたとしても害にしかならない。」

     

    攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 荒巻大輔セリフより

    「劇とは、観客自体もその演出の一部に過ぎない。」

     

     攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 映画監督の夢はある意味劇中劇としての構造を持っていると言えるけれども。この話(2nd GIG
    第15話 機械たちの午後 PAT)はどうなんだろうか。

     クリエーター的、デザイナー的制作に対してアーティスト的アプローチの批判、評論的な意味合いをもたせていると思うけれども、年代的にエヴァンゲリオン批判(劇中に監督自身の名前が出るなど)であり、またエヴァンゲリオン(はオリジナルアニメであることから)より古い作品である、『攻殻機動隊』自体に対しての自己批判のようにも思える。

     ドラゴンボールもある意味再構築などによって使いまわされているといえるので、そのあたりも含めるのかもしれない。もちろん個人的にだけれども、衒学的であるという同族嫌悪感を含めてエヴァンゲリオン批判のほうが強いように思う。(攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEXのほうがきちんとした出典を持っているという点では旧世紀エヴァンゲリオンのほうが衒学的である)