読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

    ドイツに関するメモ的なもの ドイツ語「Reich」とドイツ、『魔女の秘密展』の感想、ホロコーストなど

    メモ的なものなのであまりまとまってはないです。

    「Reich」という言葉について

     東フランク王国フランク王国神聖ローマ帝国やベルリン宣言において降伏するまでのドイツ国までの多くの国について国名に「Reich」という単語が使われていた(ドイツ以外の他国をドイツ語で表現するときも「Reich」を使って表現する場合がある)。ゲルマン民族的に国的なものとして、意味のある単語なのではないかと考えている。この単語をどう訳すかについて諸説あるようである。人名にも使われるようであり、ドイツ系ユダヤ人である現代音楽家のSteve Reichがそうである。

     ヴァイマール憲法においては「Deutsches Reich」は共和国とするとあり、国のことを指すと考えたほうがよさそうだと現在私は考えているが、当時「Reich」は英語の「Empire」に相当すると考えられていた。そのため」を国名に加える事を奇異な目で見られたようである。

     また、戦後東西ドイツにおいては、「Reich」を含んだ役職や組織の名称を変更したようである。

     飛躍する(というか、その間にある関係について私が知識がないか考えが足りていない)が、長年国を表現する一つとして使用した「Reich」という言葉に対して、ナチスも使用していたので「Reich」という言葉を使わなくなるということについて、ナチスに対する必要以上の「排他性」というものがあるのではないだろうかと考える。

     

    魔女狩りについて

     話題を魔女狩りについての話に移す。私は、今年都内で行われた『魔女の秘密展』を見に行っており、魔女狩りを行ったのはもっとも神聖ローマ帝国が多かった。領土が大きい(フランス東部、ベルギーの一部、プロイセン地方であるポーランドの北部と現在のロシアのカリーニングラード州、イタリア北部など)というのがあったが、他国(といっても現在の国に対応する地域として書かれていたが)一桁おおかったので領土の大きさの問題ではなかったのではないかと、展示を見ながら考えた。

     神聖ローマ帝国とその皇帝はローマ教皇との対立や確執があったため、教会による権力が歪んでいた。ということも考えられる。ただ、私が考えたのはホロコーストに繋がるような排他性を帯びたものを持っていたのではと考えている。

     神聖ローマ帝国の諸侯は第四次十字軍に参加しており、この軍隊は船の旅費のためにキリスト教徒が住む村を略奪した。さらに、キリスト教東方正教会の総本山であり、東ローマ帝国の首都であるコンスタンティノープルに攻め込みこれを占領、虐殺、強姦、略奪などの蛮行を行った。これ以降の十字軍はローマ教皇の後ろ盾を得られなくなった(現在のイスラム国などのイスラム教徒が十字軍を批判したり皮肉ったりしているのはこのようなことも含むことがある)。

     追記 これをもって東ローマ帝国の滅亡という説があるが、それを採用するとキリスト教国の東ローマ帝国は第四次十字軍に滅ぼされたことになる。

     イスラム教のみではなく、キリスト教東方正教会に関しても残虐な行為を行っており、自らの正しさ(キリスト教カトリック)に反するものに対して「排他的」なのではないかと考える。ただ、そういった自らの正しさに反するものに対して「排他性」はあらゆる人間が持ちうるのではないかと考えている。

     このような経緯を考えると魔女裁判にかけられたのはキリスト教カトリック以外の信仰を持つものを多く含まれていたのではないかと考える。それは、神聖ローマ帝国における教会の権威としての権力の誇示などもあったであろう。また、神聖ローマ帝国ローマ教皇に影響を及ぼすためイタリア地方(当時イタリアは統一国家ではなくミラノヴェネツィアなどの都市国家によって構成されていた)への進攻を行っており、魔女裁判は征服下における支配の戦略(見せしめなど)としても用いられた可能性もある。

     

    近代・現代における問題

     社会学者のドイツ人マックスウェーバーによって『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』が1904年から1905年の間に著された。社会学を始めとして多くの人に現在も読まれている本である。

     カルヴァンの予定説では死後救われる人は決まっているとされていた。善人も悪人も等しく。である。そこから考えだされたのは「救われる人ならば善い人である」という因果説の逆が正しいとされた。

     プロテスタント的な禁欲的で献身的な労働(隣人愛的)なものが正しさを持ち、副産物として利潤を得ていた。そしてその副産物は禁欲的な労働の基準になり得た。そして、人々は勤勉さのために時間で労働を管理するようになった。そのような精神が「時は金なり」という言葉を生み出した。

     救済の指標となりうる「副産物として利潤」のために合理的になっていった。それは「隣人愛」の実践の証拠だった。だから人々は努力していた。

     この本が書かれた時期からは、宗教の形骸化や、利己主義や利潤そのものへの追求が始まったともいえる。世界大戦のきっかけになった世界恐慌などは少し後の話である。また、マックスウェーバーがこの本を書いた時期のドイツの人物としては、「神は死んだ」といったニーチェや、「共産主義」のマルクス、「ナチスドイツ」を作ったといえるヒトラーがいる。

     日本では「働かざるもの食うべからず」という言葉があるが、これは「資本家」に対して言われた言葉であったが、いつのまにか「労働者」に対する言葉になってしまった。ドイツでは「プロテスタンティズムの倫理」による禁欲性であったが、日本では「儒教(封建)的な倫理」や恥、村社会の文化による禁欲性が資本主義的に利用されたように思える。

     ホロコーストでは、ユダヤ人だけではなく障害者も対象になっていたという。もし、社会保障費などのコストがかかることや、労働力とならないことが理由に含まれていると考えると「合理性」というのも突き詰めれば恐ろしい物になる。

     

     なぜ労働に対して勤勉でなければならないか。というのが失われている(そもそもどうしてそうなったか知られていない)のにもかかわらず、ただただ勤勉さが求められている。そう、私は感じている。今現在の状況について、引用を行おうと思う。

     

    ウルティマVI 偽りの予言者 モンデイン 統制の神殿
    私は偉大なる魔法使いだった。
    “統制"、すなわち全てをまとめることが
    私の目指していたものだ。
    自らを統制し、全てを統制する。
    しかしより大きな統制を求める心に、自分自身が飲み込まれてしまったのだ。
    統制を望むならば、まず、自らを統制することが必要だ。
    自分を統制できねば、そこに力は、生まれない。
    ガーゴイルは、これをよくしっている。
    彼らは、強き者が弱き者を、導くという考えを持っている。
    それによりこのような、滅亡を迎えそうなときでも、
    きちんと生きてゆけるのだ。


    >さよなら
    時には、他人を統制せねばならない。
    しかし、アバタールとして、それよりも大切なことは、
    自分自身を統制すること。
    それを忘れずに進むのだ。アバタールよ。

     

    ウルティマVI 偽りの予言者 勤勉の神殿
    エクソダス 勤勉
    私は強大な力をほこる悪魔だった。
    “勤勉"、勤勉すなわち、ひたすら励むことが、
    私の力の源だった。
    私はただ勤勉さを追い求めた。
    しかし、その中で私は自分の目標を見失ってしまったのだ。
    目標なき勤勉などまったく価値はない。
    勤勉さは目標とは成り得ない。
    ガーゴイルは、これをよく知っている。
    かれらは、怠ける心は勤勉の精神によって、
    正しく導かれるものだと考えている。
    だから、このような時にも、
    再び世界を取り戻そうと戦えるのだ。


    >さよなら
    もちろん、お前にも、勤勉さが必要な時がある。
    しかし、大切なことは、決して目標を見失わないように見つめ続けること。
    これこそが、まことの勤勉さだ。
    これを忘れずに進むのだ。アバタールよ。

     

    ウルティマVI 偽りの予言者 情熱の神殿
    ミナクス 情熱
    私はかつて、
    恐るべき力を誇る魔女だった。
    情熱が私の力を生み出していた。
    しかし、私はその情熱に流され、
    全てを支配しようとした。
    私は自らの情熱が、抑えきれなくなったのだ。


    おさえられない情熱は、ただ破滅をもたらす。
    ガーゴイルは、これをよくしっている。
    彼らは、情熱は何かにむけるべきものであり、
    それがないものは、導かねばならぬと考えている。
    だから、このような災害にも立ち向かうことができるのだ。


    >さよなら
    お前にも情熱が必要な時が来るだろう
    しかし、情熱を抑えることが大切だ。
    情熱に流されてはならない。
    それをわすれずにすすむのだ。アバタールよ。

     

     ウルティマシリーズの主にIVからVIはウルティマ哲学と呼ばれるほどであり、これらの言葉は今も説得力を持っていると思う。何かの目的や目標に対してではなく、情熱や勤勉、統制それらをもっても破滅することになるだろうという掲示であろうと思う。

     また、ウルティマVIのテーマは「イデオロギーの対立」であり、作中ではこれを解決することがゲームクリアに必要だった(なので、ウルティマVIにはラスボスのようなものはいない)。

     しかし、現実世界では、冷戦崩壊後に新たな宗教という「イデオロギーの対立」ができてしまった。

     

     話を戻そう。現代では、「どうしても」「ただひたすらに」、「労働に対して」「勤勉でなければならない」。そういう側面が強いと感じる。内的に求めるものではなく、外的な圧力として。

     「労働に対する勤勉さ」が無目的に求められている。資本主義なので、もちろん是ではあるが、盲目にそうであることが正しいという社会は危険な「排他性」を持ちうるのではないかと思う。

     

     最近このような事件が起きたが、とても残念に思う。ここで書いた「排他性」や「勤勉性」は決して無関係ではないように感じる。

    相模原障害者施設殺傷事件 - Wikipedia

     

     

     

    プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

    プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

     
    ウルティマ6 偽りの予言者

    ウルティマ6 偽りの予言者

     
    魔女狩り (岩波新書)

    魔女狩り (岩波新書)